「ハウスメーカーで仕事がしたい」
大学生だったMには、明確な目標があった。
引越しで「間取り図」の魅力にとりつかれ、家づくりに関わる仕事をしようと決意した。
その決意が揺らぐことはなく、大学3年生のとき、半年間猛勉強をして宅地建物取引士の資格を取る。
就職活動では、営業マンが自由に間取りを提案できるセキスイハイムが第一志望。
熱意は誰にも負けない自信があった。資格だって持っている。
内定通知がくる前から、自分はここで働くんだと確信していた村上は、同期よりも頭ひとつ分抜きん出たスタートを切っていた……はずだった。
ところが。
1年目の契約、2件——同期で最下位。
2年目、1件。——また最下位。
3年目の今年は2件だが、どちらも先輩がとってくれた受注だ。
自分1人では、営業のステージにすら上がれない。
先輩に何度も相談した。
「数字は気にしなくていいから、自分のスタイルを見つけろ」と言われた。
「Mは、そのままで好かれる性格なんだから、自信を持ってやっていい」とも。
上司にも相談した。
「お前は、ありのままでいいから。心配するな」
そう返ってきた。
でも、何をすればいいのかわからない。
数字がないのに、何を自信にすればいいのかわからない。
「ありのままでいい」って、何なんだ?
不安が焦りを呼ぶ。
昼休み。
食事に出かけるのも億劫になっていた村上は、昨晩の残りご飯をラップで丸めただけのおにぎりをかじった。
契約が成立しなかったリストを広げ、実現しなかった間取り図を一枚一枚めくる。
このお客様は、どうして連絡がなくなったんだろうか。
このお客様は、どうして他社と契約したんだろうか。
あんなに大好きだった間取り図が、「ありのままのお前がダメなんだ」と言っているようにみえる。
冷たいおにぎりは、何度噛んでも味がしなかった。
その日はお客様との約束もなく、ひとり展示場にいた。
玄関のドアが開き、子ども連れの賑やかな声が聞こえる。
お客様と接することに恐怖心が生まれていたMは、緊張で背筋をこわばらせた。
「今日は何かのイベントですか?」
そう言って現れたのは、若い夫婦と小さな女の子の家族だった。
鈴木圭介さん・みのりさん夫妻は、すでに他のハウスメーカーA社で家を建てることが決まっていて、仮契約をする直前だという。
ただその後も継続して展示場をあれこれと巡っているらしく、セキスイハイムの間取りや内装をちょっと見学させてほしい、とのことだった。
他社で契約が決まっているなら、プレッシャーはない。
村上は久しぶりに、大好きな間取りの話で盛り上がった。
こんなに楽しく家づくりの話をしたのは、どれくらいぶりだろう。
肩の力を抜いて話ができた村上は、夫妻ともっと話したくなった。
この人たちのお手伝いがしたい——。
聞けば、家を建てることは決まったけれど、土地探しはこれからだという。
圭介さんは、一年後に転勤を控えている。土地を決めるのが遅れると、せっかく新居ができあがっても、家族そろって暮らせない。
何か、力になりたい。
「ご要望にピッタリの土地をお探ししますから、期待しててください!」
社に戻った村上は、土地情報を探し始めた。
その土地で暮らす鈴木夫妻と一人娘のカナちゃんの姿に思いを巡らせる。
楽しくて、気がつくと夜になっていた。
翌週、Mはおすすめの土地情報を手に鈴木家を訪問した。
そして「万が一があるかも知れない」という小さな希望から、間取り図も数パターン作っていった。
夫妻が資料を見ているあいだ、Mはカナちゃんと遊ぶことにした。
人見知りをはじめたカナちゃんは、なかなか打ち解けてくれない。
必死でカナちゃんと遊んでいたMは、夫妻が真剣な表情になっているのに気がついた。
村上の提案した新しい土地での暮らしを検討している。
これは、ひょっとすると、チャンスかもしれない——。
「参考までに」と持参していた間取り図を差し出す。
みのりさんがウキウキした表情で自分の作ったプランを見ている。
「今度、その分譲地へご案内しますよ」
夫妻の顔が輝いた。
村上は、鈴木一家に会うのが楽しみになっていた。
「最初から、Mさんにお願いしておけばよかったね」
候補地をいくつか案内した帰り道、みのりさんが圭介さんに
そう耳打ちしているのを聞いて、Mは小さな手ごたえを感じた。
鈴木家のリビングにお邪魔するのも何度目だろうか。
相変わらず、カナちゃんとはぎこちないままだが、夫妻の家づくりはMの提案が反映されてきている。
疲れてぐずりはじめたカナちゃんを寝かせに、みのりさんが
奥の和室に移動した。ふすまがそうっと閉まる。
ふたりきりになって、圭介さんが言った。
「あのさ、Mさん」
言いにくそうに書類を指で揃えている圭介さんを見て、
Mは身構えた。
胸が——ざわつく。
圭介さんは目を伏せ、絞りだすような声で言った。 「仲良くなった営業さんって、断りづらいんですよ。僕ら、心苦しくなっちゃって。どうすればいいだろうって、ずっと考えてたんですよね……」
Mは覚悟した。
——この家族に会うのも、今日で最後だ。カナちゃんとは、結局仲良くなれないままだった。
けれど、楽しかった。この人たちは家づくりの楽しさをもういちど思い出させてくれた。
それだけでも、出会えて本当によかった。
「突然連絡がなくなると悲しいから、はっきり言ってもらえるのがいちばんいいですよ、僕も楽しかったですし———」 明るく振舞ってみせるMを、圭介さんが慌てて遮った。
「いや、そうじゃなくて……Mさんにお願いしたいんです!
だから、A社の営業さんにどうお断りすればいいか、
教えてほしいんです!」
「へ?」
間の抜けた声が出た。
夫妻は、仮契約寸前だったA社ではなく、これから、Mと共にセキスイハイムで家づくりをすすめたいというのだ。
Mに、転機が訪れた。
鈴木夫妻の住まいは、当初の予定だった札幌の郊外ではなく、みのりさんの実家に近い
ニュータウンに決まった。
Mが、家族のあらゆる可能性を想定して、真剣に土地探しをしたからだ。
価格も低く抑えられ、少しの間ではあるが、圭介さんが単身赴任する前に、家族そろって新居で暮らすという夢も叶えられた。
「引越しの荷物がもうすぐ片付くから、鍋パーティーにご招待します。必ず来てくださいね」
鈴木夫妻との関係はいまも続いている。